粉飾答弁 木村剛著
2002年8月 アスキー 発行
上下巻、それぞれ400ページを超える力作です。
大幅に短縮しながらも、各答弁は最小限の修文にとどめて臨場感
を残し、解説と批判を加えています。
答弁の下の欄に吹き出しのように、例えば
「これは官僚答弁の一つのパターン。いろいろと応用が
ききます。『世の中にはいろいろな意見がございまして、
AさんにはAさんなりにお考えになられた上で、そうおっ
しゃっていらっしゃるんでしょう』。中身は何もありません」
とか、「正しい指摘です」とか、「お得意の『定義論』です」等々。
国会答弁というのは中継放送で見ると、表情とか声が助けになり、
人間性などが伝わってきたりして面白いこともあります。
平坦な言葉で率直に、筋道を述べるかたもいます。
しかし、お役所言葉を使ってする専門的な質疑の戦いは、回りくど
くてどうにもなりません。 まして、字面だけで読み取っていくなぞ、
お手上げ。
著者は巧妙な言い回しや中身のない議論などを鋭く指摘しています。
ん… これって 本来は、ジャーナリストの仕事ではないか!
各見出しの前で述べている 「木村剛の焦点」もよくわかります。
| テレビのチャンネルをひねると、「国会の議論は低レベルだ」とか「国会議員は何も分かってない」などと、我が国の識者はのたまっている。 まあ、そう言い放つのが識者の証しみたいなところもある。しかし、1万ページを超える国会議事録を読破した今の私は、自信を持って反論できる。不良債権問題に関する限り、その批判は正確さに欠ける。一部では専門的に見てもかなり高いレベルでの議論がなされている。また、問題の本質をよく理解している議員も少なくない。
ただ惜しむらくは、その正しい議論が政府や与党を説得し、賛意を得るまでに至らないのだ。これは国会議員個人の問題というよりも、国会のありかたに問題があるように思われる。議論を尽くしたうえでの採決ではなく、党ごとの多数決による事後承諾の場に墜してしまっているのだ。 要するに、言論の府となっていないのである。 |
| 「世の中が悪いのは誰々のせい」と言い募り、「その悪人さえいなくなれば世の中は良くなる」という陰謀史観は、アジテーションとしては最高のテクニック。わかりやすいし、勧善懲悪で人々に強く訴える効果的な手法だ。しかし陰謀史観は、思考停止という重病をもたらす。冷静な現状分析がなくなる。憎悪を人々の心に植え付け、世の中の複雑さを無視して、悪人さえ成敗すれば素晴らしい明日が来ると思い込ませる。近代国家の政策論は、そういう陰謀史観を克服する合理的思考によって発展してきたのだが、いつの世であっても、陰謀史観の魔力は人々の心を惑わし狂わせてしまうものらしい。
結果的に陰謀史観にたどり着いた識者なら、その仮説が真実であることを立証する義務がある。ある悪人が世の中をコントロールしているという真実を、事実の列挙によって証明しなければならない。その努力があってこそ、近代の合理性を堅持することができる。 略 事実を直視せず、ひたすら先送りすることのみに、金融官僚はその能力を発揮してきた。不良債権問題に関する非科学的な思考方法は、その場しのぎの対応しか生み出さない。この結果として、金融当局は迷走を続け、そのスタンスは常に揺らいできた。 |
| つい二年ほど前まで、その場所にはあの百貨店があった。そう、そごう東京店が鎮座していたのだ。客入りの多いはずの休日ですら閑古鳥が鳴き、それでもなお抜本的な経営改革に着手できなかった、あのそごうである。債権のためと称して巨額のおカネが注ぎ込まれたが、その挙句に破綻したことを覚えている読者も多いだろう。何とも皮肉なことだが、自力再建を断念しておカネの垂れ流しをストップし、新たな担い手に引き継いだとたんに、あの苦しい日々が嘘のように人が集まるようになった。まったく同じ立地であっても経営者が変われば、ビジネスは生き返るものなのだ。現実問題として、ビジネスの八割は経営者の能力にかかっている。
「事態はそう単純ではない」と反論されるかもしれない。「デフレスパイラルのなかでうまく儲けることは不可能だ」と開き直られるかもしれない。しかし敢えて言おう。いま日本経済は重大な岐路に立たされている。われわれの目の前には、日本の企業をどういう企業に托すのかという選択肢の問題を突き付けられている。近い将来、未曽有の高齢化が進展する高コスト社会を迎える日本経済において、現在の生活レベルを維持するためには、高収益体質を持つ効率的で成長著しい元気な企業群を裾野にたくさん育まなければならない。 実は、われわれに突き付けられているのは、「高コスト社会を支える企業群はだれか」という選択問題なのだ。それは、債権放棄しても再建できないような非効率的な問題企業たちなのだろうか。それとも、問題企業が退出した後を埋めてくれる新しい成長企業たちなのだろうか。 |
| 結局、日本経済の足かせになっている不良債権問題について言うと、すべての問題は、「守るべきルールが守られていないこと」に帰結していく。「借りた金は返す」「貸した金は回収する」「約束は守る」「真実を開示する」などというルールが守られていないことに原因があるのだ。その意味で債権放棄の弊害は著しい。大企業が借りた数千億円は返さなくてよくて、個人が借りた数千万円の住宅ローンは毎月遅れることも許されず、中小企業が借りた数億円の設備資金に至っては「今すぐ返せ」と迫られる。こんなアンフェアな状況では真っ当に商売をやることが馬鹿馬鹿しくなってくる。 |
| マクロ経済を好んで語る人がとかく忘れがちになるのは、マクロ経済とはミクロの企業や人々の集合体だという現実だ。ザックリと財政資金をこれだけ注ぎ込めば、これだけの効果があるはずだという大胆な議論を飽きもせずに繰り返す。穴の開いたバケツにいくら水を注いでもそこから流れ落ちるだけなのに、足らなければもう一度注ぐべきだと主張する。 |
| 国の役割は、本物がしっかり生き残っていけるようなフィールドを整えることにある。その作業は、地道だが重要なことだ。あとは個々の企業がそれぞれ工夫して努力して成長していくしかない。 |
創造力と行動力を備え、理想に燃えた若者は
ました。 必ず、立ち上がって復帰してほしいと願います。
あるいは、思慮に欠けていたかもしれない
けれど
過つこと自体は悪くない
むしろ必要な経験である



